反物語主義

小説の公開を主たる目的としたページです。

経緯

 文学はチラシの裏に書き殴って机の引き出しに放り込んでおけばそれだけで作品として成立している、というのは私が常日頃から主張している持論である。

 最近私が好んで読んでいるポルトガルの作家フェルナンド・ペソアは、生前は詩集を一冊出版したのみの無名の人物だったが、書き残した大量の原稿が死後にトランクから発見され脚光を浴びたらしい。何とも渋いエピソードではないか。

 映画や演劇とは異なり、特に客を前提としなくても作品が存在できるというのは文学の持つ強みである。

  そういったわけで、私も長らく完成した作品をどこに発表するでもなく机の引き出しに仕舞い込んでいた。ところが最近になっていよいよ机の引き出しという引き出し、自室の床、果てはパソコンのデスクトップまで小説の書き損じという名のゴミやメモがあふれてしまい、肝心の作品まで原稿用紙や電子データのまま散り散りばらばらとなる事態に陥ってしまった。

 私はよく、自分が過去に書いた文を読み返す。それなりに気に入っている作品を読んで「なんだ、案外僕もやるじゃないの」と悦に入るためであったり、あるいはあえて失敗作を読んで眠れぬほどに深く恥じ入り七転八倒するためであったりと理由は様々であるが、とにかく読む。時には人に送ったメールやLINEを読み、ノートや下書き、メモを読み、自分が呟いたツイートを遡って読んだりする。

 そんな私にとって即座に自作の小説が取り出せない環境というのは大きなストレスだったが、正月ということで一念発起し整理と記録の意味もかねてインターネット上に場を用意することにした。個人的に纏めておこうかとも考えたが、せっかくだから公開しておけば、誰か物好きが読んでくれるかもしれない。何か新しいことを始めるにも丁度良い頃合いだと思い、このような形式をとった。餌もつけずに針を垂らしている釣り人のような気分である。